死んだあとのことなんて、どうでもいいのか
死んだ本人に、死後のことはもう関係ない。それでも私たちは、自分のいない世界を考えてしまう。その問いを「死後活」と呼んでみる。
この記事の要点
- 死んだあとのことは、死んだ本人には関係がない。それでも人は自分の死後を考える
- 「終活」が最期までの準備なら、「死後活」はその先、自分のいない世界を想像すること
- 死後を考えることは、いまをどう生きるかを考えることにつながる
身もふたもないことを言えば、死んだあとのことは、死んだ本人にはどうでもいい。部屋がどれだけ散らかっていても、本人がそれを見ることはない。誰が片付け、いくらかかり、誰が困るのか。そのどれも、もう本人を困らせることはない。
それなのに、人は自分の死後を考える。遺言を書き、エンディングノートを買い、写真を整理する。見ることのない世界のために、時間とお金を使う。考えてみれば不思議なことだ。
「終活」の、その先
「終活」という言葉は、2009年の週刊誌の連載から広がり、十数年で誰もが知る言葉になった。葬儀、墓、介護、相続。終活が扱うのは、主に自分の最期までの準備だ。
「死後活」は、その少し先を見る。自分がいなくなったあと、この世に何が残り、誰がそれを引き受けるのか。答えの出ない問いを、あえて考えてみること。それを、この言葉で呼んでみたい。
現場に残っているもの
遺品整理や特殊清掃の現場には、その人が生きた跡がそのまま残っている。使いかけの調味料、読みかけの本、予定の書き込まれたカレンダー。そこにあるのは「死」というより、途中で止まった「暮らし」だ。
その部屋を片付けるのは、たいてい本人ではない誰かだ。家族、大家さん、自治体の職員、そして遺品整理の作業員。死後のことは、本人にはどうでもよくても、残された人にとっては、どうでもよくない。
死後を考えることは、いまを考えること
自分のいない世界を想像すると、いまの暮らしが少し違って見えてくる。何を残したいのか。何は残したくないのか。誰に、何を託すのか。死後の問いは、そのまま「どう生きるか」という問いに裏返る。
死後活は、何かを準備しなさいという呼びかけではない。考えてもどうにもならないことを、それでも考えてみるという、ささやかな哲学の時間だ。このメディアでは、孤独死や遺品整理の現場から、その問いを投げかけ続けていきたい。
よくある質問
- 死後活(しごかつ)とは何ですか
- 自分が亡くなったあとに何が残り、誰がそれを引き受けるのかを、生きているうちに想像してみることです。終活が最期までの準備を指すのに対し、死後活はその先を考えます。
- 終活と死後活はどう違いますか
- 終活は葬儀・墓・介護・相続など、主に自分の最期までの準備を扱います。死後活は、亡くなったあとに残る部屋や家財、それを片付ける人の側まで視野に入れて考えます。
出典・参考
- 「終活」の語は、週刊朝日の連載「現代終活事情」(2009年)から広まったとされる
読んで思ったことを、ひとこと残してみませんか。死んだあとのことを、名前だけで静かに語りあえる場所があります。
みんなの死後活をひらく